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更新日:2022/2/5

Summary of "Voices of the Earth"

★作成時点での情報・記事であり,最新の情報ではありません。

これは要約であり、必ずしも本文をそのまま訳しているとは限りません。

目次

  1. 導入:大地の声
  2. 一人の人が違いを作れるだろうか?
  3. 自然における変化と自然に対する変化
  4. 白神、屋久島、野生の地と我らの内なる野生
  5. 第三世界が先進国を教える場所
  6. 経済学と生態学

最終更新日1998年7月30日(木)


導入:大地の声

すべては他のものと関連している。この考えはまだ新しい学問である生態学の基本的な原則である。しかし古代から他と関連づけられるという考えは、世界の主な宗教、哲学者、芸術の伝統の中心でもあった。異なる語でいうと、それは私たちがしばしば「常識」というものも中心であった。しかし現代では私たちが自然界とつながっていることを気づきにくいことが時々ある。人類の作った世界がさらに大きく、そして重要になっているように思われるにつれて、自然の世界は小さくなっていっているのかもしれない。忙しい生活の中で私たちはそれを探すのをさえ忘れたのかもしれない。しかし今日私たちが周りのますます増えている環境問題に直面するにつれて、私たちの自然界とのつながりについて再び考え、浸透させる必要性が重要になってきている。関連づけられるという考えは、この本を構成する人々、場所、自然についての物語をざっと読むと繰り返されている主題である。我々のそして地球自身の物語は、無限で微妙な方法において相互に作用している。この広大なネットワークのどの一部分でもそれを見て手入れをするためには、私たちはすべての他のものとのつながりについて気づく必要がある。

我々の多くは少なくとも私たちの世界が増加しつつある環境と生態学の問題に直面していることに幾分気づいている。公害オゾンホール地球温暖化酸性雨人口爆発のような語は日常語になっている。おそらくそれらがとても一般的になったので私たちはそれらが本当に我々に対して意味することについて忘れ始めてきたのかもしれない。将来を直視するときに私たちはこれらの問題を見るしっかりした能力が必要だろう。よく焦点のあった希望と強い意志によってつり合いをとるように、それらは私たちの創造的な想像力に基づいている。この本は、私たちが直面して、これらの問題を扱おうと示している世界の周りに起こっている希望的変化のいくつかの例の問題についての物語をまとめ上げている。そしてその間これらの物語は我々の生活での自然の意味と私たちがどのようにそれに近づいていくかというについての質問を提起している。いくつかの物語は日本と似たような国からである。他はケニヤ、インド、ブラジルのような貧しい国からである。 場所というものは私たちに多くを教え、そして新しい妙案を与えるものである。

現代の世界において我々の問題を解決するために新しい機械と技術をますます探すのになれていった。疑いなく技術は我々の将来に重要な役割を果たし続けるだろう。しかしこの傾向に加えて、多くの人々は地球の安寧とつり合いをとれるように生活習慣も変えていっている。我々の周りの人々は、大地との関係について再考して、その自然の律動と必要性を再び学んでいる。この過程で、彼らは新しい物語を創作している。これらの変化で大きな希望がある。これらの物語の中で、地球自身は新しくなっている。

地球は多くの声を持っている。これらは人間の声だけでなく、他の動物、植物、川、岩石、山、星の声である。これらの声の大部分は、人間のそれらとはかなり異なっている。それらをすべて聞くには、長くそしてしっかりと聞くことが必要である。私たちが決して聞こえるようにはならない多くの声は、しかし私たちはそれらはそれにも関わらず我々の周りにずっといることを信用しなくてはならない。

もし私たちが地球をいたわろうとするのなら、私たちは地球をもっとしっかりと見て聞く必要がある。時には私たちは孤立してしまうだろう。しかし同時に私たちは、他の人々、他のもの、そして地球自身と一緒に聞いたり、見たり、話したりするだろう。

一人の人が違いを作れるだろうか?

私たちは希望を失ってはいけない。意見や機会があると感じているとき、自分からそれをするはずである。
── ワンガリ・マーサイ、1991

あらゆる生活の形を理解するためには、その土地の生活と一年の推移を知らなければならない。
── メアリー・オースチン、1903

しばしば雑誌や本を読んでいるとき、あるいはテレビを見ているとき、世界とその環境を良くしている変化のようなよいニュースを見つけることは困難である。熱帯雨林や動物が減少する一方、公害、酸性雨、オゾンホール、人口が増加していることを我々は聞いている。私たちはさらに多くのエネルギーを使い続ける一方、より多くの資源を無駄にしている。この地球を酷使している中、戦争や飢餓は増加している。これらの物語は私たちが直面しなければならないすべての重要な真実である。しかし同時に希望のある変化が起こっているという事実を見逃しやすいかもしれない。世界のいくつかの地域では、より緑化され、健康になってきている。無駄遣いをする癖を直し、エネルギーを節約している人々もいる。人々はより質素にそしてあまり使わずに一緒に生きる新しい方法を探している。これらの変化は個人の意見と行動で始まる。結局それらはより大きなグループに広がり変化して、今度はそれらが地球をも変化させている。

ワンガリ・マーサイは、グリーンベルト運動と呼ばれるケニヤでの植樹計画の創設者です。彼女はアメリカで勉強し、1971年にナイロビ大学で博士号を取得した生物学者でもある。彼女が留学してケニヤに戻ってきたとき、母国の環境が著しく破壊されているのに深く心を打たれた。彼女は母国の人々の貧困や食料、薪、水のような基本的な問題、失業、土壌の流出と戦っている多くの女性たちの厳しい生活を見た。いっそう人々はこの破壊の犠牲となって、それを変化させる力をほとんど持っていないように思われた。ある日彼女は裏庭で働いているときにある考えが浮かんだ。

マーサイの考えは、人々特に多くの貧しい人々に、木を育てることによって生活と地域社会を改善するのに関わらせようとすることであった。彼らの多く、あらゆるところでである。彼女は専門家よりもむしろ質素に周りにいる一般の人々で始めた。1977年6月5日の世界環境の日に彼らはたった7本の木を植えることによって始めた。政府のお金に頼るよりもむしろ、彼女は貧しい人々に彼ら自身でその仕事の大部分を分担させることができた。彼らは他国の人々からの寄付を受け取ったが、すべての組織のためのそして木を植える仕事は自分自身で行った。働いているうちに、植樹者が大きく育てた木と緑化されている国土を見て彼らは地域社会に誇りを持つようになった。たった7本の木からのスタートから今日彼らはすでに1500万本以上の木を植えた。グリーンベルト運動は今国土全体で1500以上の樹木の苗床を持ち、99%は女性である8万人以上によって運営されている。グループは、木を植えた人々には少額であってもお金を払う。マーサイの教えの強調されることは、徹底的に実用的である。彼女は人々に読み書きを習うことは、有利であると教えている。しかし彼女は私たちがもっとも必要なことはただ働く強い意志と常識であると強調する。

マーサイは、人々の環境と状況のさらなる改善を求めて戦い続けた。彼女は運動を続けているうちに、しばしば政府を批判する意見を率直に述べて、環境の健康と一般市民の福祉を守ることよりも少数の裕福な人たちの利益となる産業の発展に関心を持っていることで政府を非難した。この活動のために、彼女とその運動はしばしば政治家たちの激しい反対と怒りに直面しなければならなかった。グリーンベルト運動のメンバーは、政府の敵と呼ばれていた。マーサイは逮捕されて、「流言をまき散らした」や「暴動を扇動した」という告訴をされて刑務所に入れられた。ケニヤの大統領ダニエル・アラップ・モイは、彼女を彼の個人的ではあるが「強敵」と呼んだ。学者としての彼女の仕事を人々や環境に対する積極行動主義と結びつけることによって、多くのリスクを冒しそして敢えて敵を作った。しかしこの反対の中で、ワンガリ・マーサイは、人々が自信を持つようになっていることと、数百万本の木の成長と、国土に緑の帯が広がっていくのを見て誇りを持つことができた。もちろん彼女は、時々大きな問題に直面して落胆を感じなければならなかったが、彼女は私たちに彼女の基調をなす信念をすべて書いている。

私たちは希望を失ってはいけない。私たちの誰もが彼女には考えと機会があると感じたとき、彼女はそれを進んでするはずである。私は裏庭で働いていたときには、自分が軽い気持ちでしていたことがある日完全な運動になるとは考えてもいなかった。一人の人は、違いを作ることができるのだ。

私たちの大部分は、世界の状況について楽観的に感じることが困難だと気づいたとき、私たちが助けることができるのを疑ってしまうときがある。このようなときに、私たちはワンガリ・マーサイのような人々の仕事を考えることができる。これらの人々は、私たちに違いの作り方や、私たちの世界の再想像と回復させる方法を見せている。たとえ私たちの周りの声の大部分が否定的であっても、私たちが耳を傾けそして参加する必要のあるマーサイのような創造的で励ましの例外的な声がそれである。

自然における変化と自然に対する変化

契約は人類と大地の間で作られそして破られる。新しい契約は、彼女たち自身のものとして地球の運命を理解した女性によって作成された。
── テリー・テンペスト・ウィリアムス,1991

私たちが野生と呼ぶものは、我々人類とは別の文明である。
── ヘンリー・デイヴィッド・ソロー,1859

ワンガリ・マーサイのグリーンベルト運動は、アフリカで起こっている希望的変化のただ一つの例である。しかし不幸なことにアフリカ大陸の他の場所や世界では、事態は悪化している。ソマリアやエチオピアのような国では、森林は素早く消失して、国土は砂漠になっていきつつある。戦争が発生している。戦争はそれ自体が根本的な原因であり、世界的な環境破壊の結果の両方である。マーサイは、他の国のこれらの問題を助けるためにグリーンベルト運動を広げようとしている。彼女のような激しい仕事をしないで私たちはすべて戦争・砂漠化・水や食糧の不足のかつてない危機に直面している。しかし世界の数地域では、緑化されている地域の励まされているしるしがある。森林は国土を再び覆っている。野生動物が帰ってきた。被害を受けた地域は回復している。人々は自然地域をそのまま保護するために働いている。野生状態は、そのまま生きながらえてさらには成功している。

国土に木々と野生動物が戻ってきた地域の一つが、アメリカの北東部である。100年前、その森林の90%が切り倒されて、土地は農場や宅地として使われた。熊、ムース、しか、クーガー、狼のような大型動物の大部分は、ビーバー、コヨーテ、七面鳥、他の野生生物のような小型動物と同様に、いなくなった。多くの人々は、森林も動物たちも二度と戻ってこないと思っていた。しかし顕著にそれらは戻ってきた。今日、ニューハンプシャー州、メーン州の国土の90%、バーモント州の80%、マサチューセッツ州の三分の二が、森林で覆われている。

その野生動物たちもまた、北東部に戻ってきた。最近私がボストンからあまり遠くないところに住む家族を訪れたときに、この劇的な証拠を発見した。そこで私は生きているコヨーテ、小さい狼のような動物が私自身の裏庭を歩いているのを見つけて驚いた。アメリカ東部では、コヨーテは200年もの間ほとんど見られなかった。私はいつもコヨーテをカウボーイ映画やインディアンの話からの半ば神話的な生き物だと思っていた。しかし大変驚いたことに、コヨーテが私の前にいた。そして最近コヨーテだけでなく、ビーバー、七面鳥、しか、熊、鷲、さらには巨大ムースまでもまた戻ってきた。しかし私にとってコヨーテに出会ったことは、動物が戻ってくる可能性のもっとも直接的な証拠と、自然の回復の望みが増加したことを私にもたらした。

アメリカ北東部で森林と動物たちが戻ってきたことは、いくつかの方法の中では特別な場合である。なぜならそれは、居住者がよりよい土地を求めて西部に移動したとき多くの北東部の農場が放棄されたアメリカにおける珍しい歴史的状況によって可能になったからである。西部の開拓者に新しい農場を与えるといったアメリカの開拓の歴史は、アメリカ先住民の数千人もの集団虐殺にも関わっていることを覚えておくことが重要である。その集団虐殺は、土地を大切に扱う彼らの文化と伝統の近くでの破壊を引き起こした。アメリカ史でのこの深い傷跡は、やっと最近になってアメリカ先住民の強さが戻ってくることで、癒され始めた。このような特別な歴史と大変豊富な土地を考慮に入れると、アメリカ北東部で起こった劇的に野生動物が戻ってくることは、世界の他の地域で繰り返すのは困難なことであるかもしれない。しかし少なくとももし適当な機会が与えられたのならば、人間の使った後に土地はより野生の状態に回復するということを示している。

しかし多くの地域で野生生物の回復の完全な物語は、単に農場の放棄、あるいはよい機会に起因するだけではなかった。疑いなく重要な、その物語の他の部分は、人々が過去の過ちから学び初めて、自然の土地を保護するために一緒に助け合って働いたことである。国家、州、地元の公園、森林、荒野の創設は、これらの努力の一つの重要な結果である。1800年代後半からアメリカは、イエローストーン、ヨセミテ、グランドキャニオンのような大きな公立公園を創設した。国立公園の考えは、人々がいかに急速に自然地域と動物が、工業化と人口増加に直面して消えていったことに気づくにつれて、急速に他の国に広まった。

国土を保護するとこのような利益があるのにも関わらず、自然地域と人間の欲求の間の健康的なつり合いを保つための闘争は、ますます困難になってきた。政府はしばしば保護政策を逆戻りさせて、以前は保護された土地を開発したり、木材を伐採したり、売却することを許している。開発への圧力に直面した自然を保護する政府の努力がしばしば不十分だと気づき始めたとき、アメリカ人は環境と保護のいろいろの行動グループを組織し始めた。多くの場合これらのグループは、政府を説得して環境に有害な政策を変更させることに成功した。シエラクラブやオーデュボン協会のような多くの組織は、教育と自然世界を保護することに必要な貢献を行った。しかし環境への驚異が絶えず大きくなるにつれて、増加した行動と教育に対する必要性が重大になった。

比較的小さな地域である日本の立場は、アメリカの立場とは大変異なっているようだ。しかし重要なことに、日本もまたいくつかの重要な点を共有していることである。日本は未だに野生の、あるいは部分的に野生の広大な国土を持っている。その山の多い地理のために、国土の約70%は、未だにある種の森林に覆われている。そして重要なことに、その人口はほとんど増加していないので、日本は今自然地域を維持するのに好ましい機会を持っている。しかしこれらの場所を将来の世代のために保護するには、とても強い意志と国民からの継続的な努力が必要だろう。

最近市民は意見を表現したり、環境を危険にさらしていると感じる政府の政策を変更させるために住民投票を使い始めている。一つの例は、岐阜県の御嵩町で、人々は木曽川を汚染するおそれのある廃棄物処理施設に抗議するための住民投票を要求した。御嵩町長の柳川さんは、この施設の建設を止めるための努力の支えとなっていた。彼の行動は危険なことに命取りであることが判明した。朝日イブニングニュースの報告によると、「彼の反対は、彼が激しくたたかれ瀕死になった1996年10月の襲撃の動機である可能性が引用された。」この事件はさらにアフリカのワンガリ・マーサイと同じように、環境問題を言い出すことは時々敵を作り得り、そして人々を死の危険にさらしうるということを示している。しかし言うまでもなくそして環境破壊に直面したときに何もしないことは、受動的に別の形での死の広まりを受け入れたことになるのである。

さらに環境の危険に反対する行動の例は、新潟県の巻町で、町民が東北電力の提案する原子力発電所に反対する住民投票で投票したことである。他の例では、廃棄物処理施設の建設をブロックする努力が、高知県の日高町と東京都の日野市で進行中である。1997年に政府は、大規模土地干拓計画を始めるために長崎県の諫早湾を封鎖する鉄板をおろすことを許可した。それは、自然へのギロチンの使用にたとえられる行動である。是は環境主義者の強い抗議にあった。彼らは他の動物、鳥、植物と同様にムツゴロウの存在を危うくすると主張した。この行動からの衝撃は、湾を救うのに間に合わせるために、公開討論と計画の再考を強く求めることに繋がった。その衝撃は他の類似した計画を止めそして自然世界を保護するための国内の市民の努力への新たなエネルギーを与えた。長い目で見れば、このような市民の行動は、重要な地元の問題の結果を決定するだけでなく、ゴミや生活習慣について私たちの基本的な考え方や優先順位を再考するのを助けるのに役立つ。人々は、短期間の経済的利益のために土地を開発するよりもそれを保護する方がしばしばより重要である。それらは、市民が政府の計画を変更させ、そして実行させ、積極的に地球の表面を変化させ癒すことが可能であることもまた証明している。

白神、屋久島、野生の地と我らの内なる野生

野生は、世界の保全である。
── ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

もしそれが野生のものと思うのなら、それを守りなさい。それを保存しなさい。それを愛しなさい。そしてそのために戦いなさい。そしてそれに献身しなさい。それが他の誰かにとって野生であるかどうかは関係ない。それがあなたの心を歌わせるものかどうか、それが夏にあなたの日々を鷹のように舞いあげるものかどうか、そのときそれに注目しなさい。なぜなら確かにそれは野生で、もしや生であるなら、それはあなたがまだ自由であることを意味するからである。あなたがどこにいたとしても。
── リック・バス

日本では、自然を保存するための大きな全国的な組織の発達が幾分遅かった。──地元の団体はしばしばとても活動的であったけれども。部分的に、これは市民は政府が保存の作業をするのを過剰に期待してきたからであるかもしれない。あるいは、それは部分的には、日本人は伝統的に自然への愛情がとても強いと信じていたので、皮肉にも自然はいつもそのままであるだろうと自信過剰であったのかもしれない。今日過去のように日本人が自然を生け花、花見、温泉旅行のような多くの活動を通して鑑賞し続けている。しかし同時に彼らは、自然界の多くのものが家や世界の両方で消えていっているという事実を見通していたかもしれない。ここで他の国々のように、ただ単に政府に自然界を保護するのを頼るのは十分でない。しかし近年、自然と環境を守るための市民の活動は増加してきている。最近私はこれらの努力の励まされるような例を示す日本の二つの地域を訪れた。

私の訪れたこれらの地域の一つは、北部にある青森と秋田の白神山地だった。多くの人々は、ここ日本で世界で最大のままであるブナの原生林があることを学んで驚いている。野生で豊かな自然環境の中に樹齢数百年の巨大な木々である。昔は日本の大部分は、白神でのブナの原生林のような広葉樹林で覆われていたが、近年造林計画では、それらを早く成長して、商業的に役立つの針葉樹林に置き換えていった。不幸なことにこのような単一の木からなる森林では、野生生物の他のものを養っていくのは易しくない。それらは地面にほとんど植物の成長しない暗い土地である。木々と植物の多様性がなくては、動物たちは食物や隠れ家を見つけることができない。この現代の森林のいっそう共通の状態において、白神は多様性を守り、野生の自然を再発見するための特別に価値のある地域としての役割をしている。

白神地域は、ツキノワグマ、絶滅の危機に瀕したキツツキのくまげら、そして多くの珍しい動植物のすみかである。幸運なことにこの地域を林業と観光を目的の開発をする大きな圧力があったのにも関わらず、この地域は未だ健康な野生の生態系を残している。しかし白神山地をそのままにしておくことは、簡単には起こらなかった。地元の市民は、その野生の特徴を破壊し、広大の商業開発に繋がる地域を通る道路を建設する計画をやめさせるために熱心に働いた。何年もの間彼らは土地を開発するよりも土地を野生の状態で残す方がより重要だと政府を説得した。彼ら(地元の市民)は、数千年もの間どのように日本人は山や森林と調和して生活し、注意深く植物、動物、土地を食料、薬草、彼ら自身の精神的つり合いのために使ってきたことを強調した。これらの努力のおかげで白神地域は今政府によって保護され、それは望ましく将来の世代に対する自然の宝物になっている。

私の訪れたほかの地域は、南部の屋久島である。周囲が約130キロメートルのむしろ小さな島であるが、屋久島は蒸し暑い亜熱帯雨林から雪の降りそうな高山気候まで変化する極端に幅の広い植生と気候を持っている。部分的には岩だらけの地形と人間が開発するのに難しい気候のために、より最近では地元の市民の保存の努力のおかげで、屋久島の大部分は野生の自然の地域のままである。屋久島は有名な古代のヒマラヤ杉類の屋久杉のすみかである。古くて神々しい縄文杉は、樹齢7000年であると評価する人々もいる。そしてこの木のそばに、樹齢数千年であらゆるいろいろな種類の若い木や植物で混合した数百本の他の巨大な木がある。今日多くの他の地域で一般的な一緒に管理された森林と対照的に、屋久島の森林は古い野生の森林の豊かさと不思議さを示している。その中で私は猿、鹿、多くの種類の鳥を見つけた。私はこれらの湿度の高くこけに覆われた木の中を歩いたとき、私は深くて精神的な存在、自然の野生と私自身のうちにある野生の両方を感じた。それは私に新鮮で新たに霊感を受けたということを、都会に帰ってからも残した。屋久島で私は私の心が深い森林の存在に共鳴しているのを感じた。私が小道で出会った一人の年老いた人は、畏れに満ちら声で、「これは世界でもっとも美しい場所に違いない。」と言った。たまたま彼は正しい。

地元の人々の保存の努力の結果として、白神と屋久島の両方は国連によって世界遺産として指定された。これはグランドキャニオンやピラミッドのような他の場所と一緒に、世界中の人々が他の動植物と同様に、それら(白神と屋久島)を楽しめるように、それらは特別な保護を受けることになっている。屋久島の居住者は私に故郷を立派な保養地としてよりもむしろ自然についての教育のための島として有名にさせるための努力を話した。しかし特に日本のように狭くて経済的に成長している国で、さらなる努力がより多くの野生地域を保全するために必要とされるだろう。新しい道路、ホテル、ゴルフ場への圧力は、保護されているはずの国立公園でさえ制御するのは難しいだろう。そしてたとえば岐阜県と愛知県の長良川のように多くの他の地域で、政府はダムの建設と開発計画は自然に深刻な被害をもたらすという環境団体の警告を監視してきた。

この開発社会に私たち自身が参加している中で、私たちは健全な地球を人間にだけではなく、野生の動物、植物、河川、山地や他のものに対して保全するように、私たちは成長への欲求をどのように制限することができるか絶えず問う必要がある。私たちの多くは都会に住んでいるけれども、野生の場所での私たちの経験は生物のつり合いをを保全するのに必要不可欠となろう。これらの経験は野生動物、土地、そして人間を結びつける自然との絆も深めることができる。

野生の、野生、そして荒野といった語は、自然について書くときにしばしば使われている。それらは何を意味するのか?それらはとても基本的な自然の性質を言っているけれども、それらを定義するのは幾分困難である。なぜなら部分的にそれらの意味は変わりつつある時代、場所、人々を反映するからである。多くの人々にとって、「野生」は何か否定的なもの、何か反抗的で秩序がないものを暗示する。しかし私たちが自然で見つけた野生の精神は、自己が深められ自然界の知恵と秩序で参加される自由を暗示している。「秩序」という語もまた変化する意味を保持している。それは時々融通のなさと固定された規則を意味している。しかし自然における秩序は、私たちが理性的に理解できるものよりも深く、柔軟で、複雑なままの秩序である。「野生」は私たちが野生のものの中に見つける精神を言っている。この野生と野生の秩序との接触は私たちの精神を自由に保ち続けることができる。「荒野」という語は一般的に私たちが野生の自然を見つけることができる場所のことを言っている。過去に私たちはしばしば荒野をただ人間との接触から離れた場所として考えていた。しかし人間に触られない荒野の地域が少なくなるにつれて、私たちは代わりに野生の精神を見つけることができるあらゆる場所として荒野を考えることが必要である。ヘンリー・ソローやリック・バスのような自然作家たちは、人間は野生の精神で野生の場所と人類の文明の生活でのつり合いを求める深い精神的な必要性を持っていると主張した。すなわち野生である。ソローが「荒野という強壮剤」と呼ぶものは人類の文明の発展のつり合いをとるために必要であると書いた。より最近にバスは次のように書いた。「私たちは、我々自身の強さ、野生を求めるエネルギーを描くための野生から…野生の深い核心を収容することができなければならない。死に対する野生。死への野生。命である野生。」

私は世界が人々の心の中に野生の場所と野生に対するきわめて重要な必要性を持っていることに強く賛成する。しかし私は今日私たちが野生の場所によって意味することをさらに問う必要があるとも思っている。私たちは人間から離れてほとんど私たちの存在によって触られていないそのような場所だけをそう思っている人と同じように意味するのか?あるいは私たちは野生のものと野生を都市の中、そして私たちの生活の近くにあるより小さな自然の側面の中に見つけることができるのか?もし野生が遠く離れた、私たちが野生と呼ぶ特別な場所にだけ存在するのならば、それを経験することは強健な冒険家に対してだけになるだろう。しかしもしそれもまた私たちの日常生活に一般的な場所を含んでいるのならば、そのとき野生は家でそして心の中で私たちすべてが共有し、冒険することのできるものである。

私たちは遠く離れた荒野の地に「大きな」自然の野生と、ちょうど同じように重要に手に取るように近い小さな場所の野生の両方を評価する必要がある。しばしば大きな国からきた人々は、大きな場所の野生の自然をより評価するが、一方日本人は庭の中、花の中あるいは都市の上空を飛んでいる鳥の中の小さな場所に野生を見つけるのがより得意であった。この野生への感覚は時代を通して日本の詩や芸術の中に表現されてきた。今日私たちすべては広いものと狭いものの両方の野生の場所のすべての種類に対する注意深さを再発見し深めるための大きな必要を共有している。この中で私たちは自分自身のここのつり合いを深めるのを助け、そして同時にソローが提案したように、全体として世界を保全するのを助けることができる。

第三世界が先進国を教える場所

あなたは泣きたいとき私を呼びなさい。
そうすれば私はあなたと一緒に泣くことができる。
あなたは微笑みたいとき私に言いなさい。
そうすれば私たちは一緒に微笑むことができる。
しかしあなたが私を必要としないとき私にそう言いなさい。
そうすれば私は誰か他を探すことができる。
── ブラジルのクリティバの教科書から

私はあらゆる文明はそれが洗練されているところから洗練されていないところへ進歩し、考え方と生活様式が簡素な状態に意識的に戻ってくるまで完全だと呼ばれるとは思わない。
── リン・ユタング(林語堂)

しばしば世界の豊かな場所に住んでいる人々は、彼らの国々を「発展した」あるいは「進んだ」国として見ることに誇りを持っている。一方でより貧しい国々を「発展途上の」あるいは進んでいない」国と言っている。この姿勢は貧しいところの人々は豊かなところの人々のようになりたいはずであることを想定している。私たちはふつう豊かな国を「先進国」そして貧しい国を「第三世界」と言い、第三世界は先進国から学ぶ必要があることを示唆している。しかしこの考え方は多くの偏見と問題の元になってきている。実際に豊の国々は貧しい国々からもっと学ぶ必要がある。不幸なことに私たちはしばしば貧しい国々から望ましい例をあまり聞かない。 ── しかし望ましい例は存在し、私たちはそれらからもっと聞いて学ぶ必要がある。

ビル・マキベンの希望、人間と野生(1995)の中で、彼は二つのこのような場所の励まされる物語を述べている。南部ブラジルのクリティバ市と南部インドのケララ州で、込み合った人口、厳しい貧困、社会的差別の歴史と貧しい政府を含んでいる大変不利な条件にも関わらず、人々はものすごい進歩を遂げた。それらの例はよい生活は未だ少ないお金と低消費でもって可能であることを示している。

クリティバでは人々は、以前の問題のあった都市から世界でもっともすばらしく、住むのに適する都市と呼ばれる都市に変えた。彼らは巧みに現代の都市の多くを形作る都市計画を使った。その成功の重要な要素の一つは、車や幹線道路の増加が強く制限されていたことにあった。そのかわりに彼らは速くて清潔で効率的な公共交通システムを発展させ、さもなければ幹線道路に必要だった土地を大規模な公園網を建設するために使った。彼らは人々が歩き、話し、身近な共同体生活に参加することのできる魅力的な地元の中核となる施設を作った。彼らはすべての人々が住んでいる場所に誇りを持ち保存することができるように、貧しい人々でさえも彼ら自身の現代的な家を建設し所有することをできるようにするための計画を発展させた。これが生み出した安定性のおかげで、貧しい人と豊かな人はまだお互いに近くで生活し、ほとんど階級闘争や犯罪がない。公衆衛生問題は部分的に集めたゴミの袋と交換で貧しい人たちに食料の袋を与えることによって処理されている。日本と比べてクリティバの人々は、持っているお金の点から見てまだとても貧しい。しかし彼らの生活の質は高い。そしてその上彼らは山ほどの社会の、環境の問題に直面した国の中の混雑した現代都市の中でこれらの肯定的な変化を成し遂げた。

ケララ州での成功はおそらくもっと顕著であるかもしれない。この州は世界でもっとも過密な場所の一つである。そこはまたとても貧しく、大変困難な社会階級の区分と偏見の歴史を持っていた。しかし今日ケララ州は、比較的質の高い生活を楽しめる安定的で希望のある場所になった。マクキベンによると、この変化における鍵となる要素は、貧富の差を大きく減らす穏やかな土地の再分配であった。最近国連はケララ州にアメリカを上回る100%の識字率であることを示した。ケララ州の男女両方の人々の多くは良く教育されている。70際の男性の平均余命は世界でもっとも高いものの一つである。女性の教育の結果として多くの部分で、その出生率はすでにアメリカや日本と同じぐらいに低く、まだ低下している。窃盗と暴力事件の率は低い。基礎的健康の世話はほとんどすべての人々が利用可能である。しかしケララ州の平均収入は、日本のそれの100分の1以下である。

豊かな国の人々にとって私たちがケララ州の人々から学ぶことのできる多くの教訓がある。食料第一協会のウィル・アレクサンダーは、「ケララ州は小家族かつ低消費の持続維持するための基準を満たす地球上で一つの大きな人口である。」と指摘した。これは私たちがこのように爆発した人口と限られた資源でもって私たちの惑星の将来を考えるとき、私たちがそれから学ぶ必要のある例の種類である。そしてマクキベンは次のように結論づけた。「ケララ州は一対の伝言を先進国に提供した。一つは仕事を共有することである。再分配はケララ州を大きな経済成長がなくてさえ、生活するのに見苦しくない場所にした。第二にそしてさらに重要なことに、教訓は質素な生活についてのおそれは正当でないことである。」

確かにクリティバとケララは、莫大な進行中の問題に直面している。さらに彼らの最近の成功は、外国企業と政府が彼らに質素な生活を捨てて、高度成長国家の経済の型を選択するように圧力をかけるにつれて厳しく試されている。しかし彼らの成功は、大きな変化が大きな問題を抱える場所でも起こりうることを証明している。さらにそれらは豊かな国々の以前の環境的に破壊的な高度成長と消費の型でなくて、高い生活の質で安定的な社会を作ることが可能であることを示している。私たちの誇りにおいてより豊かな国々の私たちは容易に貧しい国々は私たちのようになりたがっていると考え続けている。しかし私たちの増え続けている社会的精神的問題と同様に、私たちが世界の自然資源の限界と私たちが引き起こした環境への被害を考えたとき、私たちがクリティバやケララのような場所からより豊かによりよい生活をする方法について学ぶ必要があるというのは本当であるということは、実際に逆戻りであろうか?

経済学と生態学

あらゆるものはすべての他のものに繋がっている。
── バリー・コモナー、「生態学第一法則」、1972

正しい種類の生態学では、私たちの楽しみはただ単に付加物や副産物、報酬ではない。それは我らの労働を可能にしてくれるものとそのために不可欠な尺度の両方であろう。
── ウェンデル・ベリー、1990

私たちはよく「強い」経済の必要性を耳にする。私たちはふつう国内でより多くの自動車、テレビと他の製品が作られているとき、経済は強いと考えている。同様に商品の生産が下落したとき、私たちは経済が「弱く」なって生活に困ることを恐れている。ふつう私たちはより豊かにそしてよりよい生活をしようとするのならば、国内の経済が継続的に成長しなければならない。しかし「強い」経済と「経済」そのものの本当に意味することは何であろうか?

英語の「経済」は、古代ギリシャ語の「 oikonomikos 」に由来し、それは家事をよく行い切り盛りすることと関係している。「生態学」という語もまた経済という語の家や居住用の場所を意味するoikosの共通の語源に由来している。この共通の語源はよい経済状態であることは深くよい生態学的状態であることと関係している。このように良好な経済とよい生態系であるためには、私たちは全世界を私たち自身の家事の一部として扱う必要がある。私たちはもし世界の遠い地域の一部を破壊すれば、それは自分自身の家を破壊したことを意味することを理解する必要がある。私たちは経済の健康状態をはかるとき、もし私たちは正直で本当によい経済学者なら、私たちは経済が地球の生態系に課している経費の総額を無視することはできない。あらゆるものに関係がある。私たちは世界のどこか他の場所で引き起こされている公害や苦情を無視することはできない。それは世界的な「家事」に対する私たちすべての責任である。結局破壊された生態系は破壊された経済を意味するのである。

現代の経済理論は、資本主義者・社会主義者、あるいは共産主義者のいずれでも、一般的に良好な経済はさらなる商品の生産量の増加にあると考えている。(英語の「品物」でさえ論理的に私たちにとって良好な状態の過程と繋がっている。)そしてこの成長を可能にするために、私たちは天然資源の使用の増加と自然を支配することが必要であることを当然としてきた。世界が限りない資源を持っているように見えたときや私たちが広く広まった公害に対する努力に気づく前ではこのような過程は十分に合理的であったかもしれない。しかしこのような成長は続けることができるであろうか?そしてその成長は我々を本当に幸せにするだろうか?今日私たちはこれらの基本的な考えと問いについて再考する必要がある。私たちは「豊かに」なるときに急速に我々の家を破壊している。そして地球を破壊する際にたとえ少数が豊かになったとしても私たちは貧しい経済状態になっている。我々の経済統計学は本当にそして完全には私たちの経済成長が環境・動物・植物・個人の健康・自由時間に課した真の費用を示していない。もしこれらのすべての費用が数えられたとしても、私たちは「貧しい」と判断されるだろう。

実際には経済成長は重要である。その問いは、どのような種類の成長を我々は求めているか、ということである。この問題を再考する際に、異なった種類の経済、環境保護に責任のある経済、そしてそれはお金と品物の所有の増加に第一をおいていない経済である、により成長を再定義するだろう。私たちは経済成長をより多くの幸福をより少ない労働と資源で達成したかを考えることによって測ることができる。大部分の人々はこのような経済の考え方は非現実的な理想論か、ただ単に不可能だと考える。しかしこれは本当にそうであろうか?確かに我々の経済を地球にとって健康的な規模で作り直すのは困難で珍しいであろう。しかし本当の話、私たちの世界はすでにかなり難しい状態にあり、そして私たちはしきりにこのような新しい考え方を見つける必要がある。

これらのことを再考する際の妙案として私たちは、高い生活の質を保持しつつ環境保護に責任のある世界における以前の経済の例から学べるだろう。E.F.シュマッハという環境保護に関心を持つ経済学者は、南アジアに存在する「仏教経済学」と彼が呼ぶこのような例の一つを書いた。彼はこの経済を「最小の消費による最大の幸福」を得る考えの基本として定義している。あるいはより現在の例を取ると私たちはインドのケララ州を見ている。しかし基本的に新しい経済の技術を見つける以上に、私たちは基本的な経済の価値を再想像する必要がある。今日の豊かな国々の大部分の人々はあらゆるものの値段を知っているが、価値については何も知らないと言われている。しばしば私たちの経済はこのもっとも基本的な経済の価値の概念を問うことを私たちに見えなくしている。

今日私たちは価値の意味を再発見する際の開拓者である必要がある。 ──有形のものの価値だけではなく、自由時間・地域共同体への参加・創造性・友好のような無形のものの価値についてである。これを考える際に私たちは豊かになるための二つの異なる方法について考えることができる。一つは私たちの持つ品物やお金の量を増やすことによってである。他方はより少ない必要なものだけでよりよく生活することによってである。第一の方法は大部分の経済の目的である。第二の方法はより共有し、より少ない消費を通して質素な生活を送る人々の方法である。

しかしこのように質素で生態的に責任のある経済での生活を考えることは本当に今日現実的であろうか?もし私たちが遙かに少ない物質的な成長で生活するとしたら、それは多くの人々が恐れるような未開の時代に戻ることを意味するだろうか?それは暖かいシャワー・テレビ・コンピュータ・進んだ医療がないことを意味するだろうか?これらは単純な問いではないけれども、私はそれらの答えは「いいえ」であってはならないと思う。部分的に私たちはより生態的に適切な方法で技術を使うための努力をすることができる。私たちは太陽エネルギーの使用やリサイクルの手段を大いに改善することができる。しかしこれらの技術的手段以上により重要なことは、私たちは惑星資源の使用を大いに減らし、今日よりも質素に生活することが必要だろう。同様に私たちは労働と品物をより共有し、経済的な競争を協調に置き換えるようにすることが必要だろう。私たちの生活体系と人々と地球に対する関係は変える必要があるだろう。

これは経済の本当の成長でなければならないと私は思う。確かに私たちの多くはまだ現在の方向を変えることは不可能かあるいは恐れすぎていることが疑われる。しかしこの考えはしばしば盲目的に起こることを受けていることに対する許しとしてとられている。私たちが必要なものは過去に戻ることではなく、地球の天然資源の限界に調和することに存在し、そして人間の時間と協調がより価値を持つような、より健康的で無駄の少ない社会に進むことである。確かにこれは達成するのは困難であろうが、環境の増え続ける危機は私たちに新たな必要性と試すことへの動機を与えている。私たちがすべてのエネルギーと知性を地球の健康とより調和するような経済を作るのに注いだとしたらどうなるだろうか?あるいはそのとき再び、もし私たちがそれをしなかったら、世界はどのようになっているだろうかと尋ねるだろう。

不幸なことに私たちはこのような新しい経済と成長を創造するためのはっきりとした青写真を持っていない。このような経済は多くの学校で教えられていない。しかし必要な変化を成し遂げるために、私たちは正確な計画が私たちの前に配られるまで待つことはできないし、またそれらは配られないだろう。私たちは私たち自身の描き出す大まかでぼんやりとした概略から、今仕事を始めなくてはならない。


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