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更新日:2022/2/4

鉤虫感染(Hookworm Infection)

★作成時点での情報・記事であり,最新の情報ではありません。

Hookworm Infection(鉤虫感染)の全文です。原文はSCIENTIFIC AMERICANの6月号,訳文は日経サイエンスの8月号です。

目次

作成日 1999年 6月 21日 (月)


鉤虫感染

Peter J. Hotez and David I. Pritchard
数百万の子供の発育と知的発展を遅らせる鉤虫感染は,まだ研究者の多くからは無視されている。新発見は,優れたワクチンの可能性を提示するだろう。

今,世界中のヒトの腸の中を調べてみると,10億人──大まかにいって地球上に生活する5人に1人──の小腸の中から鉤虫を見つけることができる。この寄生虫は,盗人が隠れてこそこそと仕事をするように,身体の中で悪さをする。鋭い歯を持った1cmほどの虫が,腸粘膜の表面とその下の組織に咬みついて,血液を吸っているのである。1匹の鉤虫が1日に飲み干す血液の量はわずかだが,20匹とか100匹,ひどいときには1000匹以上の虫に血液を吸い取られ続けると結果は深刻である。1000匹も寄生するとコップ1杯の血液がなくなってしまうのである。

血液は鉄やタンパク質,その他の栄養分を組織に運搬する役目を担っている。もし失われただけの血液を宿主がすぐに補充できなければ,鉄欠乏性貧血やタンパク質欠乏性の栄養失調になってしまう。このような状態は,子供や授乳中の女性,あるいは栄養失調の人でもよく見られる。しかし,鉤虫に感染した人の25%以上に見られる貧血や低タンパク症は,嗜眠や衰弱の原因となる。さらに悪いことには,子供にたくさんの鉤虫が感染して慢性の状態になると,鉄やタンパク質の欠乏により発育が著しく遅延し,行動や認識,運動の発達が阻害される。このような発達の阻害は,場合によっては取り返しがつかないにほど進んでしまうことがある。またしばしば乳児にとって鉤虫感染は致命的ですらある。

鉤虫感染は熱帯の発展途上国でごく普通にみられる病気であり,治療は可能である。しかしこのような国々では治療薬──駆虫薬や経口鉄剤──は手には入らないか,もしくは入手困難である。その他いろいろな理由により,腸のなかの安定した環境を鉤虫から守るためのワクチンの必要性が指摘されている。ところが残念なことに,鉤虫症はここ25年の間ずっと生化学畑の研究者たちから無視され続けてきた。正直にいうと,第三世界が主な流行地となっている病気の研究費などというものはほとんどないに等しいのと,実験室でこの寄生虫を維持することが困難であるという理由から,このような状態が長く続いてきたのである。疾病に対する理解と治療を飛躍的に進歩させたバイオテクノロジーの革命も,鉤虫感染の研究にとっては何の利益ももたらさなかったということである。

しかし,このような風潮を今や私たちは逆転しようとしている。私たちをはじめ2,3の研究室では最新の分子生物学的手法を用いて,鉤虫のなかでも重要な,ズビニ鉤虫〔アンキロストーマ属(Ancylostoma)の一種〕と,アメリカ鉤虫〔ネカトール属(Necator)の一種〕について探査し始めている。ここ2,3年来,予防ワクチンとしての可能性を秘めた一連の鉤虫タンパク質を同定することができるようになってきた。循環器病や免疫病の薬が先進国で果たしているのと同じ期待を,このようなタンパク質の多くのものが担っているのである。

注目すべき感染経路

米国をはじめとするいくつかの国が鉤虫症に目を向けた時期もあった。鉱夫貧血と呼ばれていた病気が,スイスアルプスを貫く鉄道の「聖ゴッタード」トンネルの工事を行っていたイタリア人労働者に広まったとき,医師たちはこの病気に潜む深刻な影響に気づいていた。鉤虫症を起こす2種類の寄生虫のうちの1つ,ズビニ鉤虫(A. duodenale)がこの場合感染源であった。1902年にはもう1つの種類であるアメリカ鉤虫(N. americanus)も発見され,どのようにして感染が広がっていくかについて,多くのことが明らかになっていった。

そのあと少しして,米国南東部でアメリカ鉤虫の流行が明らかになったとき,石油王John D. RockefellerはRockefeller衛生委員会を設立し,この地域から鉤虫症を一掃することを企てた。彼はまた海外での鉤虫感染の根絶のためのキャンペーンにも資金を出した。このおかげで新しい治療法の開発や鉤虫の基礎的な研究がずいぶんと進展した。

Rockefellerがスポンサーになる前から,鉤虫が感染するためには,少しばかり回りくどい道筋が必要であることはすでにわかっていた。人の身体の外に出た虫卵は,土のなかで幼虫にまで発育する必要がある。成熟した雌虫は毎日何千個もの受精卵を産卵し,糞便と一緒に宿主の外に出る。発育初期の幼虫が外界で生き延びて成長するためには,適当な温度と湿度,それに日光から遮断された酸素に富んだ土が必要である。このような条件は熱帯地方の農村部で普通に見られる。特に作物で陰ができたり,高い樹木の下を耕したりするところではこのような条件が当てはまる。そのため,100匹以上の鉤虫が寄生するような重症患者は,ココナッツやカカオ,コーヒー豆,お茶,トウモロコシ,サツマイモ,桑の木などを栽培している人々に見られる。

外界に出た虫卵は1〜2日の間,地面のなかで過ごしたあと,卵から小さな幼虫が生まれ出てくる。この幼虫は2回脱皮して感染幼虫になるまで,組織の破片や微生物を栄養にしている。感染幼虫になってしまうと養分を必要としなくなる。そのかわり宿主に侵入するために地面に這い出してくるのである。このとき幼虫は,水分を含んだ草の葉っぱや土のかけらの上で,しっぽを支えにして身体をゆらゆらと揺するという奇妙な行動をとる。

肉眼でかすかに見える程度の大きさの幼虫が,手や足の皮膚に穴を開けて身体の中に侵入する。ズビニ鉤虫の幼虫では,このような経皮感染と同様に経口感染も成立する。幼虫が皮膚に浸入している間には炎症反応は十分に誘導されない。白血球が局所に浸潤する程度である。理由はともかく,宿主の細胞によって鉤虫の幼虫は排除されない。しかし炎症によって激しい掻痒感が生じる。1978年インド北部で「カバディ」の試合を終えた人たちの間で,この急性期の反応によって起こる「土かぶれ」と呼ばれる,よく知られた流行が見られた。カバディは相手を地面に押さえつけて勝負が決まる。競技していた人たちは試合場の土が鉤虫の感染幼虫で汚染されていたことに,全身がかゆくなるまで気がつかなかったのであった。

口から身体の中に入った幼虫が小腸にたどりつくのは簡単なことだと研究者たちは考えている。幼虫は最終目的地まで直行することができるからである。しかし,皮膚から身体のなかに侵入する幼虫が表皮を通り抜け,その下の真皮層,さらには小血管やリンパ管系に穴を開けるのは並大抵の仕事ではない。血管やリンパ管に侵入するとすぐに,幼虫は静脈循環に乗り,右心室から肺に入る。そこで幼虫は呼吸器系にさらされ,咳を誘発する。このとき幼虫は喉頭から咽頭に入り,そしてそのまま嚥下される。皮膚で成熟し始めた幼虫は最終的に小腸で,成熟した雄や雌になる。雌虫は幼虫が身体に侵入してから,普通は約2ヶ月以内に虫卵を排出し始める。

不思議なことに,このような体内移行が途中でストップしてしまうことがある。ペンシルベニア大学のシェイドらは,ズビニ鉤虫の幼虫は腸に達する前に身体のどこかで何ヶ月も眠っていることを明らかにした。どこで眠っていて,どうやって目を覚ますのか誰にも正確なところはわかっていない。しかし,チューレン大学の李,リトル,故ビーバーらは,イヌとヒトの筋線維のなかに鉤虫の幼虫が捕捉されているのを見つけている。筋肉は眠っている幼虫の隠れ家の一つなのであろう。

寄生虫の側からすれば,隠れ家にじっとしていることは,宿主のなかで生き延びるためには都合のいいことである。乾期に幼虫が成熟する場合を考えてみよう。雌はあまり環境のよくない地面の上に卵を生むことになる。しかし,もし,幼虫が腸管に達する前に,雨期に産卵できるよう時間を調整できるのなら,虫卵が生き延びるチャンスはもっと大きくなるというものである。幼虫にはこのような能力が備わっているのかもしれない。インドの西部ベンガル地方での1960年代の調査で,シェイドらのグループは,ズビニ鉤虫の感染幼虫は,気温が上昇する乾期には発育途中の段階で組織中に捕捉されており,モンスーンの直前に産卵能力のある成虫に発育することを確かめた。このようにして,虫卵は最も条件のよいときに,湿った地面に転がり出てくるのである。

隠遁生活は,鉤虫にとっては都合がいいかもしれないが,宿主にとってはそうはいかない。成虫をやっつけることができる駆虫剤をもってしても幼虫を殺すことはできない。だから,うまく駆虫できたように見える患者にいくら再感染を防ぐ手だてを尽くしても,何ヶ月か後には再発する場合がある。

さらにやっかいなことには,ズビニ鉤虫の幼虫は授乳中の母親の母乳に入り,乳児に重篤な感染を引き起こすということがわかっている。ヒトだけでなくイヌでもこのようなことが起こっている。上海寄生虫病研究所の余と沈は重症のズビニ鉤虫感染の新生児の症例を多数報告している。母乳を介してのこのような感染の可能性は,新生児が失血のため死亡してしまうことがあるため,とくに問題である。

治療における問題点

鉤虫の生活史が解明されたあと,私たち2人はそれぞれ独自に,鉤虫が皮膚を突き破り,ヒトの身体のなかで成長し,かつ生き延びることを可能にしている分子は何かということを明らかにする仕事に取りかかった。このような分子が明らかになれば,そのうちのあるものはワクチンとして使えるかもしれないと考えたからである。私たちのうちの1人(Hotez)は,アンキロストーマ属(この中には数種類の鉤虫がある)を用いて研究をしてきた。一方,Pritchardは,アメリカ鉤虫に代表されるネカトール属の鉤虫に焦点を絞って研究してきた。

ホッツはアンキロストーマ属のなかでもイヌ鉤虫を対象にしてきた。というのも,この寄生虫は実験室内で維持するのがズビニ鉤虫よりも簡単だからである。イヌ鉤虫という名前からわかるように,この鉤虫はイヌに感染する。しかし,イヌ鉤虫がヒトにも感染することは,オーストラリアのクイーンズランド大学のPaul Procivや,同じオーストラリアのタウンズビル総合病院のJohn Croeseが報告している。

私たちはワクチン開発をめざしている。その理由は,すでに述べたように,世界中どこにいても治療を受けることができるかというと,そうではないし,また治療を終えてから何カ月も経ったあとに,筋肉内に潜んでいた幼虫が新しい感染源となる,というような問題もあるからである。一度でも感染したことのある人に強い防御免疫を誘導することができるニワトリ痘瘡のようなものと違って,鉤虫感染の場合には防御免疫を誘導できないという事実が,この問題を一層困難なものにしている。

鉤虫の流行地に住んでいる人は何度も鉤虫にさらされているし,その結果,何度も感染が起こっている。だから繰り返し治療しなければならないが,ほとんどの人にとって何回も薬を飲むなどということは煩わしいもののである。さらに,繰り返し投薬するのは鉤虫症の治療にとって理想的な解決方法ではない。鉤虫症の患者を数多く診察している上海寄生虫病研究所の研究者は最近,駆虫薬は従来考えられていたほどには効果がないことを明らかにしている。

一番いい予防方法は,当然のことであるが,感染が広がらないように衛生環境を改善することである。米国南東部からヒトの鉤虫症を一掃することができたのは,衛生環境を改善できたことが最も大きな理由であった。ところが,多くの発展途上国では衛生環境を今すぐ整備できるわけではないし,感染の機会を減らすために,気温の高い熱帯地方の住民に衣服をいつもきちんと着用しろといっても無理である。そこで考え出されたのが宿主の防御能力を高めるためのワクチンを普及させることである。

ワクチンには2通りのアプローチの仕方がある。ひとつは,感染に対して抵抗力をつけるためのもので,微生物の表面に出現している分子に対して免疫応答を惹起させるために,微生物の特定の分子や死菌,あるいは変成した菌体そのものを投与するものである。この方法がうまくいくと,誘導された抗体は微生物がいつ体内に入ってきても,たちどころにやっつけてしまう。

通常の鉤虫感染によって一見,防御免疫は十分に誘導されないように見えるが,ワクチンを投与することによってこれが起こるのである。今から30年以上前,当時グラスゴー大学にいたThomas A. Millerは,放射線照射で変成させた生きたイヌ鉤虫の感染幼虫を投与して,イヌに免疫能を付与することに成功した。ヒトに生きた幼虫をワクチンとして用いることを政府が許可するはずもないが,Millerの仕事は,遺伝子工学的手法によって作成した幼虫タンパク質あるいはその断片によって,ヒトにも同じ現象が再現できるかもしれないという期待を抱かせるものであった。もしもこのようなワクチンが開発できれば,身体の中で生き延び,成長しつつある幼虫に対しても効果があると思われる。

私たちは全く新しいワクチンの開発も模索している。それは「病気に抵抗するワクチン」とでも呼ぶべきもので,鉤虫は宿主の体内では増殖しないことから,鉤虫が養分として吸う血液の量を減らすことができれば,鉤虫による被害を最小限にくい止めることができる。そこで,ヒトの身体の中にはなくて,鉤虫からだけ分泌されている物質を見つけることができれば,これを投与することによって,鉤虫に対する免疫反応を惹起することができる。この反応によって鉤虫を直接殺すことはできないが(なぜならこのような物質は虫から放出されるとすぐに拡散してしまう),鉤虫が発育したり吸血したり,あるいは免疫系の攻撃から逃れるのを手助けする物質を中和することはできる。

ワクチンとして有望な物質を見つけようとする研究の過程で,鉤虫が小腸に咬着するときに見られる現象を生化学的に説明できるようになってきた。鉤虫が小腸壁にとりつくと,筋肉質でできた鉤虫の咽頭がポンプの役目をして,粘膜と粘膜下組織を口腔いっぱいにほおばる。と同時に,組織を傷害するような強力な酵素を分泌する。

このような酵素は私たちの研究室のほか,オーストラリアのブリスベーンにあるクイーンズランド医学研究所のPaul J. Brindleyによっても発見されており,ヒアルロン酸や小腸の組織成分を分解するヒアルロニダーゼ,さらには宿主のタンパク質を変成させる働きのあるプロテアーゼも同定されている。このような機械的刺激や化学的刺激の相乗作用によって,宿主の栄養分を小腸壁からしみ出させやすくしているだけでなく,くわえ込んだ毛細血管を破断させることもできるのである。鉤虫は漏出した血液を飲み込むが,同時に多くの血液は捨てられているのである。

ヒトは鉤虫の侵入に対して2通りの手段で対抗する。そのひとつは虫が咬着して傷ついた血管の凝結を促すことである。凝結によって血液がそれ以上失われるのを防ぎ,鉤虫の養分になることも防ぐ。もう一つは免疫学的な手段である。好中球や好酸球と呼ばれる白血球(リンパ球)を活性化することによって鉤虫に対抗する。リンパ球は,自身が産生したフリーラジカルや脂質過酸化水素によって寄生虫を殺そうとする。この2つはどちらも活性が強く破壊的に作用する。

免疫学的防御には抗体分子によるものもある。これはリンパ球と共同して作用する抗体の中でも,アレルギー反応の主役である免疫グロブリンE(IgE)が関与する。Pritchardのグループは最近,パプアニューギニアでの調査から,IgE抗体を誘導する反応が鉤虫症の患者群では非常に強いことを明らかにし(たぶん彼らは大部分がアレルギー患者なのであろう),鉤虫による養分の摂取を減らすことができるかもしれないと報告している。しかしながら,IgE抗体は鉤虫を即座に殺すことができないのは明白な事実である。

化学工場としての鉤虫

鉤虫は脈管系や免疫系の防御をかいくぐる術を発達させることによって生き延びてきた。例えば,鉤虫は凝固を促進する少なくとも2つの因子を阻害する。毛細血管が傷害されると血管壁細胞は組織因子と呼ばれる糖タンパク質を放出する。これが血液中の第VII因子と結合して複合体をつくる。この複合体が第3番目の分子である第X因子と呼ばれる酵素を活性化し,凝固系を促進させる一連の反応の引き金になる。活性化された第X因子(第Xa因子)は,今度はプロトロンビンをトロンビンに変化させ,このトロンビンがフィブリノーゲンを不溶性のフィブリンに変える。フィブリンは血管壁を網の目のように覆い,傷害された部位を修復する。これが血液凝固の基本である。フィブリンの網は血小板やその他の血球成分を捕捉する。

鉤虫が少なくとも1種類以上の凝固阻止因子をつくることは100年ほど前からわかっていたが,その性質については謎であった。私たちは,鉤虫が凝固系の初期の段階に作用して第Xa因子の活性を阻害するタンパク質を分泌していることを証明した。これによって一連の凝固系が阻止されてしまうのである。

このようなタンパク質をHotezの研究室のMichael Cappelloが,カリフォルニア州サンディエゴにあるCORVASインターナショナル社のGeorge P. Vlasukと共同で,イヌ鉤虫から分離するのに成功した。この分子はAcAP(イヌ鉤虫由来凝固阻止ペプチド)と呼ばれ,これまで自然界で知られていなかった分子量の比較的小さな,凝固阻害効果の強いペプチドであり,鉤虫感染とは無関係な病気の治療薬として有望視されている。

宿主の免疫学的な攻撃を回避する鉤虫の戦略は化学因子の放出にも依存している。CORVAS社の研究者たちは,そのような中のひとつである好中球阻害因子と呼ばれるものをイヌ鉤虫から分離した。これは好中球と好酸球の活性化を阻害し,放出される強力な酸化物質から鉤虫を保護している。

Pritchardとその共同研究者であるPeter M. Brophyは,アメリカ鉤虫がこれと似た防御機構を発達させていることを明らかにした。アメリカ鉤虫は抗酸化酵素(スーパーオキシドジスムターゼやグルタチオンSトランスフェラーゼ)を分泌し,フリーラジカルやその類縁物を中和してしまう。防御に加えて,アメリカ鉤虫は小腸壁のニューロンから放出される神経伝達物質であるアセチルコリンを低下させる酵素を産生する。神経伝達物質が自由に働くことが,活性化した白血球にとっては鉤虫をやっつける手助けになっているのかもしれない。

さらに私たちは,鉤虫がその口の中にくわえ込んだ組織を破壊するために使う化学物質が,一方では宿主の免疫学的攻撃から,鉤虫自身が身を守るために使われていることを見いだした。アメリカ鉤虫がつくり出すプロテアーゼは抗体を不活性化し,主にアンキロストーマ属の鉤虫が産生するヒアルロニダーゼは局所の分泌を亢進させる。これによって化学的な防御シールドで鉤虫が保護されることになるのである。

腸管内の鉤虫の成虫は,血液凝固を防ぎつつ宿主の免疫学的な攻撃から回避できるような分子を産生するという意味で,あたかも独立した製薬工場としての機能を持っている。しかし成虫だけがこのような化学物質を産生しているのではなく,幼虫も同じように産生している。Hotezの研究室のJohn M. Hawdonは,イヌ鉤虫の感染幼虫が少なくとも2種類のタンパク質──おそらく幼虫が皮膚に侵入するのを助けるプロテアーゼと,機能はいまだ明らかではないタンパク質──を分泌しているのを証明した。後者のタンパク質はASP(アンキロストーマ分泌ペプチド)と呼ばれ,幼虫が成熟するのに関与していると考えられている。

多くのワクチン候補

鉤虫はその生活史の中で多くのタンパク質を産生していることから,ワクチンが開発できるのではないかと考えられている。例えば,Hotezの研究室のHawdonとBrian F. JonesはASP遺伝子をクローニングし,ASPタンパク質をコードしているアミノ酸配列を決定した。そのタンパク質の一部は,刺毒昆虫に見られるタンパク質のセグメントと極めて類似していた。この毒タンパク質はヒトの免疫系を強く刺激し,このタンパク質に対する抗体は試験管内でASPとも反応する。

このことは,ASPが鉤虫の感染幼虫を破壊し,成熟を妨げるような免疫反応を誘導しうるワクチンとして作用する可能性があることを示している。現在では遺伝子工学的手法により,大量のタンパク質を生産することは簡単である。このようにしてつくられたタンパク質を武器にして,Hotezは上海寄生虫病研究者の研究者と共同で,実験動物を用いて,このタンパク質がワクチンとして使えるかどうかを確認する研究を始めようとしている。また,前にも述べたAcAPをはじめとする凝固阻止因子や抗酸化酵素,好中球阻害因子などについてもワクチンとしての可能性が検討されている。

英国バブラハム研究所のEdward A. Munnらの研究によれば,まだまだ研究に値する分子があるとのことである。彼らは,ヒツジの胃虫(鉤虫ではない)が産生する酵素から作ったワクチンが胃虫の再感染を阻止する効果のあることを証明した。Pritchardらはアメリカ鉤虫も同じような酵素を産生していることを示し,このような酵素を注射すれば,鉤虫に対しても防御免疫を誘導できる可能性があると述べている。

ワクチンの可能性については,鉤虫感染に対する感受性の遺伝的背景の研究からも明らかになるかもしれない。数年前,Schadと,現在はオックスフォード大学に在職しているRoy M. Andersonは,最初にたくさんの鉤虫に感染したヒトには,再感染したときにも多数の鉤虫が寄生するが,少数の感染しか受けなかったヒトでは,再感染時にも少数の鉤虫しか寄生しないことに気づいた。このような傾向が宿主の遺伝子によってコントロールされているとする説がある。もしもこれが正しいなら,感受性に影響を及ぼす遺伝子を同定することによって,重症感染を防ぐ手がかりになるかもしれない。パプアニューギニアでのPritchardの研究から,アレルギー反応に関与する遺伝子の追求が,この問題を解決する上で,とくに興味をそそられる。

このような予想は,現在おあずけをくわされた状態であるが,実現可能な予想でもある。しかし,ワクチン開発に対しては深刻な問題も依然として残されている。第三世界向けのワクチン開発はコストに見合うだけの利益を生む市場ではないため,製薬業界は敬遠するのが常である。それ相応の売り上げが見込めないなら,鉤虫ワクチンの前途は暗い。

皮肉にも,現在までに分離されている鉤虫タンパク質はワクチンとして用いられるよりも,鉤虫感染とは関係のない病気の治療薬として先に使用されるかもしれない。どんな場合かというと,凝固防止剤としてのAcAPは心臓病の治療に有効性が証明されるかもしれないのである。

AcAPが,小腸内で血液を固まらせる一連の反応の最終プレーヤーである第Xa因子の活性を阻害することをもう一度思い出していただきたい。第Xa因子はまた,心臓発作の原因となる血栓形成に重要な働きを担っている。これらの事実は,AcAPの構造がユニークであることと相まって,このタンパク質が循環器病の患者に,通常の凝固防止剤の代わりとして用いることができるかもしれないということを示唆している。AcAPは,血管形成術(動脈の血行をよくするために「バルーン」で拡張する手術)によって疎通した動脈が再びふさがるのを防ぐのに役立つかもしれない。

好中球阻害因子やその他の免疫阻害物質も先進国で普通にみられる病気の治療に役立つ可能性がある。現在,これらの物質が自己免疫疾患や臓器移植における拒絶反応,喘息などのアレルギー性疾患の治療薬として効果があるか否かの研究が進められている。

子供たちを思い出すこと

鉤虫から見つかるいろいろな分子にはさまざまな応用の可能性が秘められている。しかし,先進国で使うための薬としての応用を研究の第一目的としているわけではない。私たちは,鉤虫症を世界中から一掃する方法を発見したいという思いで,努力を重ねているのである。

1911年,ノースカロライナ州コロンバス群の内科医であったC. L. Predgenは,鉤虫に罹患した15歳の少年の悲惨な例を報告している。ロックフェラー衛生委員会の第2回年次報告書の中で,彼は次のように述べている。

その少年は典型的な症例であった。皮膚は死体のような色をしており……。周囲に対して何の反応も示さず……。全くなされるがままに検査を受けていた。検査が終わるとすぐに,結果も聞かずそばの丸太に寄りかかり,座り込んでしまった。ひどく疲れているようであった……。彼の父親によると,その少年はこれまでずっと何の役にも立っていなかった……。毎日毎日,無表情で,イヌのようにポーチに横になってばかりいたと言う。家の仕事を手伝うことのも遊ぶことにも興味を示すことはなかった。

治療を始めるとその子供の症状は劇的に改善した。Predgenはその子の父親を引き合いに出して,「私が帰ろうとしたとき,その子は畑仕事をしており,生きている喜びが全身にみなぎっているのを,父親にわかってもらおうとしているみたいに,ラバにかけ声をかけていた」と報告書の終わりで述べている。

しかし,その少年はそのあともう一度鉤虫に感染し,またもとのような症状に戻ってしまった公算は大である。もしその子が第三世界に生まれていたなら,必要なときに治療すら受けられなかったかもしれない。いつの日にか,このような何百万人もの悲惨な状態の子供たちを救うことのできる手軽なワクチンが開発されることを切に願っている。


要約

今日地球の人口のおよそ5分の1にあたる10億人が,鉤虫に感染していると推定されている。鉤虫は小腸壁にしがみつき,1日1匹あたりスプーン1杯の血液を吸うため,多数の鉤虫に感染していると深刻な結果となる。

失われた血液がすぐに補われないと,鉄欠乏性貧血やタンパク質不足となる。子供に多数の鉤虫が感染すると,発育遅延・行動低下などが見られ,とくに幼児では致命的でさえある。

熱帯の発展途上国で普通にみられる鉤虫感染に対して,現地で薬剤入手は困難であるため,ワクチンが必要である。しかし,財政援助がなく,また鉤虫を維持しにくいため,鉤虫感染についての研究は遅れている。

私たちの研究室では鉤虫タンパク質のいくつかを同定し,これらは心血管と免疫異常への薬として約束されている。

注目すべき感染経路

イタリア人労働者の間に鉱夫貧血が流行したとき,医学界は鉤虫症のうちのズビニ鉤虫による病気の重大性に気づいた。1902年にアメリカ鉤虫が同定されると,ヒトからヒトへの経路の詳細が明らかになった。ロックフェラーは衛生委員会を作り根絶しようとしたことが,今日の治療や進歩の土台となっている。

鉤虫のヒトへの感染経路で,虫卵は熱帯地方の作物の日陰や高い木の下といった土壌で発育するため,重症感染はこの地方で起こりやすい。

孵化した幼虫は,感染幼虫になるまで有機物の破片や微生物を食べているが,感染幼虫は何も食べず,宿主に接触するのをひたすら待っている。

感染幼虫が手や足の皮膚から侵入すると,白血球が集まってくるが幼虫を排除することはできず,激しいかゆみが起こる。

皮膚に侵入した幼虫は静脈で肺に運ばれ,気道に脱出して小腸に達すると,成虫になり,雌雄が連れ添って虫卵を作るようになる。

幼虫はこのサイクルを外れて,筋組織の中で休眠していることがある。

休眠状態は虫にとって,虫卵の排出時期を雨期に合わせて調節できるため,虫卵の発育に役立っている。

幼虫は駆虫できないので,休眠幼虫が体内に残っていると,数ヶ月後に再発することがある。

ズビニ鉤虫は,母乳に入って新生児に重症感染を起こして死亡させる可能性が示されている。

治療における問題点

鉤虫の生活史がわかったので,もし私たちが鉤虫が産生する分子を単離できたら,それらのいくつかをワクチンとして使うことができるだろう。ホッツはアンキロストーマ属の鉤虫の中で,研究室で維持しやすいイヌ鉤虫で主に研究し,プリチャードはネカトール属に焦点を当てている。

一度鉤虫に感染したヒトでも,将来の鉤虫感染に対する強力な防御免疫を得ることができないので,再感染した場合はさらに薬物治療が必要になってしまう。

感染防止のための最も良い方法は,感染が起こらないようにすることであるが,発展途上国ではすぐに衛生状態を改善できないので,宿主の免疫力を上げるワクチンを広めることである。

古典的な感染防止方法は,微生物の分子や死骸を投与して,免疫反応を起こさせて,次の微生物の侵入の時に排除する反応を起こさせることである。

たとえ鉤虫の自然感染は,十分な防御免疫を誘導できなくても,ワクチンは防御の一助となるかもしれない。

私たちは病気を抑えるワクチンを探しているが,鉤虫は体内で増えないので,吸血量を減らせば被害も小さくなるからである。

ワクチンに役立つ分子を同定するにつれて,鉤虫が小腸壁にしがみついた後に起こることを見ていると,血液を吸うとともに周囲の組織を破壊する強力な酵素を同時に分泌している。

これらの酵素は,ヒアルロニダーゼやプロテアーゼを含んでおり,組織の養分を出しやすくさせ,また小血管も破壊する。

宿主のヒトは,鉤虫の侵入に血液凝固と白血球の活性化といった反応を開始する。

IgE伝達反応はある患者では本当に強力で,虫の栄養分を減らすようだけれども,虫そのものは全くやっつけられなかった。

化学工場としての鉤虫

鉤虫は血管や免疫学的防御を妨げる戦略を進歩させているため体内にとどまり続ける。

鉤虫は抗凝固因子を作っており,それは凝固経路のはじめで第Xa因子の作用をブロックしている。それはAcAPと呼ばれ,ほかの病気の薬よして役立つかもしれない。

免疫系からの攻撃を逃れるために鉤虫は好中球阻害因子という物質を放出している。

アメリカ鉤虫もまた抗酸化酵素というフリーラジカルの類を中和する酵素を分泌している。

また組織を破壊する化学物質も免疫による虫の破壊を回避するのを促進している。

成虫は,宿主の血液凝固や免疫反応を妨げる製薬工場のような機能を持っているが,幼虫も同じである。

多くのワクチン候補

鉤虫がその生活史で多くのタンパク質を生成するのが発見されたため,ワクチン開発に向けておもしろい薬が示唆されている。

ASPは幼虫をやっつけ,成熟を妨げる抗体反応を引き起こすことのできるワクチンとして役立つという考えの土台を与えた。

ワクチンの可能性は,鉤虫感染と遺伝的な決定の研究からもわかってきた。

ワクチン生産への大きな障害がまだ残っており,それは製薬会社が費用を回収できない鉤虫ワクチンに投資しないことである。

皮肉にも,鉤虫から発見された抗凝固剤のAcAPは心臓病の治療という鉤虫と関係しない治療に使われるかもしれない。

好中球阻害因子やほかの免疫阻害物質は,先進国でよくみられる病気に用いられるだろう。

子供たちを思い出す

鉤虫で発見された分子が多様な応用を持つ可能性は喜ばしいが,治療への応用は先進国だけの特権ではない。

私たちはいつか深刻な症状を防ぐための簡単なワクチンが世界中の数百万人の子供のために生産されることを望んでいる。


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